Teoriaは、ギリシア語で「観想、観照」のこと。
 知る喜び 色の楽しみ
 縦糸と横糸が出会い 新たな布が生まれる驚き
京都の小さな文化サロンで、  Teoriaの時間をお楽しみ下さい。

「染め」体験@丹波市立薬草薬樹公園

グループのみんなで学ぼう!
♪現代手織「さをり」4つの願いのひとつです♪


昨日11日、手織適塾大阪本部のお仲間からお声かけいただき、染め体験一日ツアーに参加してまいりました☆


まずは大阪に集合。リーダーのお車に乗せて頂いて、一路丹波へ。本日総勢9名です。
ワクワク♪

丹波市立薬草薬樹公園の「染め教室」は毎月一度開催されています。このメンバーは、一昨年あたりから断続的にグループで参加している「常連さん」。すでに当Cafeの娘のほうは参加経験「有」ですが、不肖母は参加したいしたいと思いつつ仕事の都合等々でなかなか果たせずにおりました。
で、今回、満を持しての?初参加です!


赤松パーキングエリアで休憩。

大河ドラマ黒田官兵衛(如水)で宿敵として描かれていた播磨の赤松氏、の赤松かなぁ?
内橋ラーメンでお昼♪

西脇の地場産業播州織。かつては女工さんが沢山いた街で、ラーメンも女工さんたちの口にあうよう「甘い」のだそうです。確かに!
帰りの車中でコロッケをお試しだった方も「甘味!」とおっしゃってました(^^*)
西脇のもう一つの特産、但馬牛。
良いお肉が安い!
 
皆さま早速ショッピング、お品は帰路に受取ます。私は宅配を手配。


そして布屋さんでもショッピング。
良いお品がとにかく安い!
もと工場のような倉庫が布の保管庫になっていて、その場でメーターで購入可能。
東京生まれ京都在住の身には、天神橋筋商店街を歩くだけでも相当なカルチャーショックなのに、天神橋筋を常の庭とするような大阪マダムの皆様方が口をそろえて「安い!」と仰る。


良質で、かつ、より安いものを探索する彼女たちの「アンテナ感度」「行動力」にはただただ脱帽。元気が出てきます。



さぁ、いよいよ目的地、
薬草薬樹園 http://www.yakuso.gr.jp/kouen.html
今月の染めは「インド藍」。通常は近隣の山で採ってきた植物、薬草薬樹を使うことが多いようです。今回は既製品の染料のようです。


フロアは広く、設備が整っています。沢山のスタッフの方々もとても親切。のびのび染め体験できます。

皆、思い思いの糸を持参。

これが私の。ところどころビニル巻きの糸できつくしばっておきました。
      
いい感じに染めあがりました。


意気揚々凱旋の帰路、
tamaki niime weaving room & stock roomさんに立ち寄る。
http://niime.jp/
ここは吃驚でした。
田園風景の中に忽然と出現した六本木のロハスなショップ、といった感じで、なんだかとっても不思議な空間でした。
素朴な木綿、シンプルなパタン、クールで抜け感のあるデザインが、ほっこりとした「自然」と融合。
まさに、播州織のエッジ、ここにありって感じ。


その後、帰阪。解散後、帰京。
いやはや盛り沢山大満足の一日でした。
リーダー、
メンバーの皆さま、
ありがとうございました☆



さて、なんの予備知識もナシの体験ツアー初参加でしたので、帰宅後ちょっと調べたことを自分用Noteとして以下MEMOっておきます。
(主に西脇市HPを参考↓
http://www.city.nishiwaki.lg.jp/kankotokusan/jibasangyo/bansyuori/1355896832921.html

西脇市
加古川水運、鉄道敷設により、播磨の経済の要として発展。
特に繊維産業で豪商を輩出、栄華の名残が今も残る。


播州
江戸時代中期から綿花栽培が行われていた播磨では自給自足で衣料製作。西脇は播州平野から中国山地へのふしめに位置、加古川などの河川が集まっているため、染色に不可欠な水資源が豊富。織物業が発展する基盤が整っていた。
寛政4(1792)年、京都から帰郷した飛田安兵衛が織機をつくり、後に「播州縞」と呼ばれる布を広めた。
明治初め、綿布業者60〜70軒。
明治後期から力織機普及。家内工業から工場生産へ。西脇市域で生産が急激に増加。この頃「播州織」と。
大正期、鉄道開通。「播州織」の名が全国に広がる。
第一次世界大戦後、海外販路(東南アジア)拡大。輸出向け産地となる。
昭和初期、生産の飛躍的増大。
日中戦争勃発前後、年産1億平方ヤード、業者数270軒の黄金時代。女子労働者を県内外各地、朝鮮半島からも募集。
第二次世界大戦後、新製品開発、対米輸出。織機が一度「ガチャ」っと音をたてると1万円儲かると言われた「ガチャマン景気」と呼ばれる空前の好況時期。
昭和30年代、多くの女子労働者が集団就職西脇市にやってきていた。

ふーん、
集団就職といえば「東北から東京へ」「西日本なら大阪へ」というパタンしか知らなかった、
女工さん」といえば『あゝ野麦峠』しかイメージできなった私でしたが、
なるほど、ラーメンスープの甘味はこのあたりから来ているわけですね。
ついでにラーメンでググってみたら、ちゃんと記述があったw

播州ラーメン
スープは醤油味であるが甘さが強い。使用されるタレは地元産の甘味を帯びた独自の醤油であり、甘みを加えるタマネギやリンゴ、魚のだし、氷砂糖などを煮込み、甘さが強い物である。(略)
甘さのスープの由来は、戦後に隆盛を極め、かつて西脇市播州織に代表される繊維産業の町であった歴史にある。当時全国各地の農村などから中学を卒業したばかりの女子たちが集団就職でやってきて織物工場で働き、その数約2万人ともいわれた。かつて西脇大橋のたもとにあったラーメン店(西脇大橋ラーメン)がこうした女工の口に合わせて、工夫を重ねるうちに現在の甘口スープにたどり着いたという説が有力だが、一方、それ以前から甘かったと証言する古老もいるらしい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%92%AD%E5%B7%9E%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%B3

「らしい」って(笑
ようするに俗説ってことだけど、俗説として定着するほど西脇での「女工」さんの存在は大きかったってわけね(^^


さて、ラーメンスープの後の時代はというと、ドルショック、オイルショック、そして海外市場での日本製品の競争力低下…、と、おさだまりの展開。そして、バブル崩壊、国内事業のさらなる低迷、安価な海外製品のさらなる流入…、
このあたりのトホホな感じは、自分も生きている時代なので、おおよそ見当のつく話。


で、ここからが現代。西脇市さんのHPによると、

多様なニーズを踏まえた
・多品種
・小ロット
・短納期
に対応できる体制づくり。
・ブランド化
・産地組合組織の一本化
など構造改革を進めている。

とのこと。
特に、

平成18(2006)年から「播州織ファッション特区事業」を展開しています。具体的には、播州織工場跡地を有効活用した「播州織工房館」の開設、産官学連携による商品開発やショップ経営を行うとともに、神戸市にアンテナショップを一定期間開設するなど、新たな取り組みを次々と展開しています。

だそうです。
tamakiさんの、山奥に忽然と東京が出現したような空間は、おそらくこうした「公」の努力のひとつの表われでもあったかと腑に落ちた次第。

はい。
たった一日のツアーでしたが、
戦国時代から現代まで、
ラーメンの味から、染料から、さびれた工場跡や、豪商の栄華の名残りの街並み、そして、現代ファッションと、
「染織」
から見た日本の歴史一大ツアーでもありました。
特に、最後に立ち寄ることの出来たtamakiさんのつくり出す空間は、日本の「糸」の過去現在未来を垣間見ることができたような、不思議な体験でした。
西脇には他にも、↑にもあった播州織工房館とか、栄華の名残りである豪商の住んだ古民家とか、見所は色々あるようですが、京都からは3時間半。薬草薬樹公園のある「丹波の湯」に「宿泊」施設が出来ることを切望します(笑


 
本日京都良いお天気で染めて来た糸を干しています。だいたい狙い通りの染め具合になってます(ほくほく
実は最後のすすぎをあえて甘めにしたので、手にとると指が藍で青くなります。
丹波のスタッフさんには、帰宅後結び紐をほどいてから、もう一度洗濯機ですすぐことを勧められましたが、私はあえてすすがず、他の糸と一緒に織りあげてから洗う予定。布の縮絨段階での「移染」、布全体への染料の影響?!を期待して☆
織り機にかけるのが今から楽しみ!
(織機も藍で染まりそうだけど…orz)


あらためて、有意義な一日を、ありがとうございました!