Teoriaは、ギリシア語で「観想、観照」のこと。
 知る喜び 色の楽しみ
 縦糸と横糸が出会い 新たな布が生まれる驚き
京都の小さな文化サロンで、  Teoriaの時間をお楽しみ下さい。

織姫伝説

本日七夕。今夜星は見えるでしょうか。
織姫星織女星)として知られるヴェガは、琴座α星。鷲座アルタイル、白鳥座デネブとともに、夜空に夏の大三角を形づくります。


さて、このヴェガという名前のついたギャラリーとショップが、阪急「池田」駅構内にあります。

【ギャルリVEGA】1998年〜
【Shop VEGA】2000年〜
http://www.azaleanet.or.jp/gvega.html
CAFÉ TEORIAの「さをり織り」の仲間うちでは、洗練された素晴らしい作品で有名なスポットです。私どもが訪問いたしましたのは、もう2年も前の《遊織染色》展の時のことですが、その際ついでに調べました無駄な雑学を、七夕の今夜、備忘としてUpしておきます。


池田という町。
阪急電鉄創業者の小林一三の旧邸に設立された逸翁美術館でも知られる瀟洒な町ですが、実はこの池田こそが「織姫」伝説の地なのです。
日本書紀』によれば、応神天皇三七年条に阿知使主アチノオミ・都加使主ツカノオミを呉の国に遣わして縫工女キヌヌイメを求め、呉の王から、呉織クレハトリ・漢織アヤハトリ※らを与えられた、とのこと。(「巻第十 誉田天皇ホムタノスメラミコト応神天皇」「巻第十四 大泊瀬幼武天皇オオハツセノワカタケノスメラミコト雄略天皇」)※呉織は呉服、漢織は穴織とも。ハトリは機織ハタオリの意。(『国史大辞典 4 き‐く』p952 くれはとり・あやはとり)(『日本歴史大辞典 1 あ‐う』)
池田市史 概説篇』によりますと、日本書紀の「呉織・漢織」渡来の記述中、池田の地名はないものの、池田市内には機織伝承ゆかりの旧跡が各所に残されている由。たとえば、2人の織姫を乗せた船が着いたところが<唐船が淵>、糸を染めた井戸が<染殿井>、絹を干したのが<絹掛の松> 、機を織ったところは<星の宮>、2人が葬られたとされる墓が<梅室・姫室>、呉織が祀られたのが<呉服クレハ神社>、漢織が祀られたのが<伊居太イケダ神社> 等々、と。さらに、元禄14年(1701)『摂陽群談』、寛政10年(1798)『摂津名所図会』には、池田が呉織・漢織の伝承の地という記述があり、これらのことから、池田こそが織姫たちの渡来&活動の本拠地であり、ここから日本全土に織物や染色の技術が普及していったのだ、というわけです。池田の市章はこの伝説を元にしたもので、外側の井桁は<染殿井>を、内側の糸巻きは織り姫たちが織物に使った糸巻きを表す、のだそうです。

というわけで、ギャルリVEGA 、SHOP VEGAのVEGA=織女星も、地元の伝説にちなんで名づけられたのでした。
ちなみに、池田には呉服クレハ神社だけではなく、沿線に「服部天神」の駅もあります。服部と書いてハットリと訓むのは、クレハトリ、アヤハトリのハトリ=機織ハタオリの意。また、秦ハタさん秦野ハタノさんのハタも、古代、わが国へ渡来した秦の人々が、機織ハタオリ技術を伝えたことから、秦ハタという姓をあたえられ、機織部ハタオリベの職につき、日本各地に住みついたから、という説もあります(まぁ、細かいことを言うと、応神帝時代の中国が呉なのか漢なのか秦なのか…?では、クレハトリとアヤハトリの違いは?等々、微妙なナゾは残りつつw)。
ちなみにちなみに、クレハ化学は、かつての母体であった呉羽紡績(現東洋紡)の創業地・富山県婦負郡西呉羽村(現 富山市呉羽町)にちなむものらしいですね(wiki参考)。やはり機織関連です。
ともあれ、
織姫さま、
神話や天上の星だけではなく、どうやら此の世にもリアルに存在していたかも、ですね〜o(^^*
呉の国から渡来したキヌヌイメのクレハトリ・アヤハトリさん、どんな方たちだったのでしょう・・・?
その手織り伝承の地・池田は、ステキな「さをり織り」にふれることの出来るスポットでもあります。SHOP VEGAでは、さをり織作品を中心に、服、小物、雑貨など一点ものの作家作品が購入できます!
逸翁美術館ご訪問のおりには是非♪駅ビル内のSHOP VEGAにもお立ち寄りのほど、おススメいたします☆彡